突然、店に助けを求めて入ってくる人がいたといいます。
1台は店の入り口付近を、もう1台は坂の下の方を撮影しています。 今回、同じような事故の防止につながるならと、映像をNHKに提供してくれました。
人が多すぎて、上がろうとしても下に押し戻される様子も見られました。
しかし、このあとしばらく、けが人などが搬送された様子はほとんど映っていませんでした。 さらに30分、事故から1時間以上が経過したあたりから、ようやく被害者が続々と搬送されていきました。
「あまりにも多くの人が密集していたので、人混みを縫って救助に来るのが大変で、救助に時間がかかったと思います」。 「下敷きになった人を道ばたに寝かせて心肺蘇生をしても、意識が戻ってこない。修羅場と化していました」。 「水をかけてあげたり、飲ませてあげたり…。でも、目を開けたまま反応がない。思い出すだけでつらいです」。
犠牲者を思って、坂道に韓国の風習である慰霊のための食膳を供えたと、涙ながらに語ってくれました。
周囲には今でも休業を続ける店が多い中、ナムさんは事故から10日余りたって再び店を開けました。
ナムさんの店の客足は遠のいたままですが、それでも今も多くの人が訪れるこの坂道で店を開けながら、犠牲者を弔い続けたいと言います。 「このような事故が二度と起こらないよう、教訓の場にしてほしいです。犠牲者たちの死がむだにならないように。あの世に送り出すまで、ここで彼らの魂を慰めるつもりです」
24歳の娘を亡くした父親のソン・フボン(宋厚峰)さん(60)も、そうした1人で、遺族の思いを知ってもらいたいと事故から1か月を前にNHKの取材に応じました。
ソンさんは「もっと一緒に旅行に行きたかった。将来や夢について語り合いたかった。先に娘が逝ってしまい本当に申し訳なく、胸が張り裂けそうです」と心境を語りました。
死亡者の名簿には娘の名前がなかったため、きっと病院にいるのだと信じ、無事を祈り続けていたといいます。 しかし、事故の翌日の午後4時ごろ、警察から娘が亡くなったと連絡を受け、妻と親戚と3人で遺体が安置されている葬儀場に車で向かいました。 その時についてソンさんは、「妻はショックで車内で気を失いかけていました。3人で泣きながら向かった道のりは、とても長く感じ、本当につらくどうやってたどり着いたのか覚えていません」と話していました。 事故のあと娘の友人からは、ウンジさんが、新型コロナの規制が解除され、3年ぶりとなるハロウィーンの雰囲気を感じてみたいと、イテウォンを訪れていたことを聞きました。
亡くなった娘に宛ててメッセージを送り続けていました。 メッセージには「イテウォンの路上で押し寄せる恐怖のなか、あなたが『助けて』と父を母を呼んだと思うと、胸がはりさける。神様がかなえてくれるならば、その場にいてあなたと代わってあげたい。愛するウンジよ、ごめんなさい、ごめんなさい、父と母を許して」と書かれていました。
使われないストレッチャー
「死がむだにならぬよう教訓の場に」
語り始めた遺族たち
祈り続けた娘の無事
この惨事は人災
事故の直後にみずからも救助活動にあたったという、現場に面した洋品店の店主はもっと何かできたのではないかと、自責の念にかられていると話します。
再発防止の役に立てばと、店主が提供してくれた店の防犯カメラの映像には、当時の状況が詳細に記録されていました。
ピラミッドのように人が…