
その後、アメリカで密約があったことをうかがわせる外交文書が公開され、西山さんは大学教授らと国に対して密約に関する外交文書を公開するよう求める裁判を起こしました。
裁判のなかでは、沖縄返還交渉当時の外務省のアメリカ局長が証人として出廷し、密約があったことを認めたものの、平成26年に最高裁判所が西山さんらの訴えを退けていました。
親族によりますと、西山さんは2か月ほど前から北九州市の介護施設に入所していたということです。
24日、心不全のため亡くなりました。91歳でした。
しかし、西山さんは原状回復のための費用、400万ドルを日本が肩代わりするという「密約」があったことをうかがわせる機密文書を入手し、返還交渉が大詰めを迎えていた昭和46年6月、その内容を報道しました。 昭和47年3月、当時の社会党の議員が国会審議の中でこの文書のコピーを示します。 政府は「密約」の存在を否定する一方で文書が漏えいしたことを問題視。 西山さんは外務省の女性職員をそそのかし、違法に機密文書を入手したとして国家公務員法違反の罪で逮捕・起訴されました。 1審は「取材の目的は正当だった」として無罪を言い渡しましたが、2審では一転して有罪となり、その後、最高裁判所で有罪が確定しました。 日本政府が密約の存在を否定する中、平成12年以降アメリカで密約の存在をうかがわせる公文書が相次いで公開されます。 西山さんは「密約を隠すための不当な起訴だった」として国に賠償と謝罪を求める訴えを起こしたほか、ジャーナリストや大学教授とともに文書の公開を求める裁判も起こしました。 このうち文書の公開を求めた裁判は1審は国に公開を命じましたが、2審は「すでに廃棄された可能性が高い」として訴えを退け、最高裁判所も上告を退けたため敗訴が確定しました。 また賠償と謝罪を求めた裁判は「訴えを起こせる期間は過ぎている」として敗訴が確定しています。 一方、平成21年の政権交代で誕生した鳩山政権は外務省に「密約」についての調査を命じ、外務省はアメリカで公開された文書について「作成されたかどうか確認できなかった」としました。 外務省の調査をもとに密約問題を検証した有識者委員会は、関連文書から、アメリカ側が原状回復費用を支払う形をとりながら、実際には日本側がその財源を負担する了解があったという交渉の経緯は明らかだとして、広い意味での「密約」はあったという報告書をまとめています。
西山さんが報道した「密約」とは









