また、めぐみさんの弟で、拉致被害者の家族会代表の横田拓也さんは「厳粛な雰囲気の中で弔意を示せました。岸田総理や菅前総理の弔辞でも拉致問題に対して引き続き頑張ると言われていたので、安倍さんの思いを日本政府がくみ取って、一生懸命やってほしい」とコメントしました。
報道関係者は事務所に入れないため中の様子は分かりませんが、事務所には安倍元総理大臣の遺影が飾られ、弔問に訪れた支援者などが手を合わせていたということです。 訪れた70代の男性は「『いままでありがとうごさいました』と伝えました。悔しいです。お礼のことばしかない」と涙ながらに話していました。
安倍元総理大臣は、年始に地元に戻った際には下関市の赤間神宮を参拝していて、名誉宮司の水野直房さんとは長年、親交がありました。 水野さんは、世論の賛否が分かれる中での国葬の実施について「反対の気持ちもわからなくはないが、せめて国葬の当日ぐらいはデモはしてもらいたくない。功労者に尊敬の念を持って自宅や職場で送ってほしい」と話していました。 そして午後2時すぎに「国葬」が始まるとテレビでその様子を見守り、参列者の黙とうが行われている間は、頭を下げて手を合わせていました。 水野さんは「きちんと礼節を尽くした儀式ができてよかった。これから長く日本をお守りくださいと祈りました」と話していました。
50代の女性は「考えは皆さん違うと思いますが、山口県のために尽くしてくれた人なので国葬の実施には問題はないと思っています」と話していました。 また、60代の女性は「すごく心が温かい人でした。国葬に反対の人もいると思いますが、世界のためにいろんなことをしてくれた人なので、国葬をやるのはいいと思います」と話していました。 一方、30代の男性は「国葬に反対はしていませんが、政府の伝え方や進め方の問題で国民の納得が得られにくかったと思います」と話していました。 また、国葬には反対だという80代の女性は「旧統一教会の問題がこれほどひどいとは思いませんでした。その状況で国葬をするのはどうなのかと少し引っ掛かります」と話していました。
宮城県気仙沼市にある気仙沼漁業協同組合の元組合長、佐藤亮輔さん(81)は、震災から2年後の2013年、安倍元総理大臣が気仙沼市を訪れた際に漁業関連施設を案内しました。 その時、自分たちの話に真摯(しんし)に耳を傾けてくれたという姿を覚えているといいます。 市によりますと、安倍元総理大臣は在任中、気仙沼市を4回訪れ、被災した現場や復興の状況を視察したということです。 佐藤さんは27日に行われた「国葬」の様子を自宅のテレビで見ながら黙とうをささげていました。 佐藤さんは「大変な時に気仙沼に来てくれたことで、私たちは励まされました。当時、多くの人が力を貸してくれたのも安倍さんの呼びかけがあったからだと思います。被災地のために大きな仕事をしてくれたことをありがたく思います」と話していました。
福島県広野町のNPO法人の理事長、西本由美子さん(69)は、「国葬」をテレビで見守りました。 西本さんは、震災と原発事故の2年後、安倍元総理大臣が視察に訪れた際、直接、自身の思いや要望を伝えたことをきっかけにその後も、視察のたびに面会し、復興の課題などについて意見を交わすようになったということです。 ことし7月にも福島県を訪れた安倍元総理大臣とことばを交わし西本さんが高校生とともに行っている復興支援の活動について、「子どもたちのことをよろしくね」と声をかけられたということで、それが安倍元総理大臣との最後の会話になったということです。 西本さんは「安倍さんが前面に立って頑張ってくれたから今の福島の復興の形はできたと思う。そのリーダーシップはかけがえのないもので、感謝しています」と話していました。 一方、「国葬」の実施に賛否の声があることについては、「政治家が説明責任をしっかり果たしていれば、こんなに日本中が揺れる話にはならなかったと思うので残念です。国葬に向けられる全国の人たちのエネルギーを少しでも福島の問題に向けてくれればと思ってしまいます」と話していました。
古林さんは安倍元総理大臣が在任中にロシアとの平和条約交渉に取り組む姿勢に大きな期待感を持っていたといいます。 古林さんは「たゆまずにプーチン大統領と会談し、いろいろな機会になんとか領土問題を解決する方策を見いだしたいという安倍氏の努力には敬意を表したい。自分たちの代で、領土問題を解決して平和条約を結びたいという気持ちは大事なことで、われわれには力強いことばだった」と振り返りました。 古林さんは北方四島との交流事業で北方墓参と自由訪問に合わせて5回参加し、墓参団や訪問団の団長を務めた経験もあります。 しかし、3年前の8月に国後島を訪れたのを最後に新型コロナやウクライナへの軍事侵攻の影響で故郷を訪問することができておらず、ことしは代わりに「洋上慰霊」に参加しました。 古林さんは「元島民はほとんどが80歳を超えていて、政府にはビザなし交流や墓参などを再開できるようロシアとの交渉に力を入れてもらいたい。それが領土問題の解決にもつながると思う」と話していました。
G7伊勢志摩サミットは6年前の2016年、安倍元総理大臣が議長を務め、三重県志摩市の賢島のホテルで開かれました。 賢島にある「伊勢志摩サミット記念館」の語り部で、当時、地元の自治会長だった山崎勝也さんは、サミットで訪れる人たちをもてなすため、沿道に花を植える活動などに取り組みました。 サミットの前の年、安倍元総理大臣が視察で訪れた際には、「皆さんで力を合わせておもてなしを頑張ってください」と激励のことばをかけられたということです。 27日、パソコンで「国葬」の様子を見守った山崎さんは進行に合わせて黙とうし、生前の姿をまとめた映像でサミットの様子が映し出されると感慨深そうに見ていました。 山崎さんは「サミットを志摩市で開いてくれたことへの感謝の気持ちは今もある。安らかに眠ってもらいたい」としたうえで、「国がもっと国民に丁寧に説明して理解を得られていれば、みんなが厳かに送り出せたのではないか」と話していました。
訪れた18歳の男性は「静かに手を合わせて見送りたいと思って来ました。国葬に対していろいろな意見があるのは知っていますが、安倍元総理大臣にはただ、『ありがとうございました』と伝えたい」と話していました。 70代の女性は「国葬が行われる東京に行くことができないのでここに来ました。亡くなったのは残念で、日本や世界の平和が続くよう見守ってもらいたい」と話していました。 現場に献花台などは設けられておらず、道路などを管理する奈良市は、花やお供えは持ち帰るよう呼びかけています。 一方、周辺では、午前中から警察官や民間の警備員などが警戒にあたっっています。
政府の分科会 尾身会長「長い間 尽力してもらった」
国際政治学者 三浦瑠麗氏「幅広い人脈を改めて実感した」
地元の山口 下関 安倍元首相の事務所には支援者などが弔問
長年 親交の名誉宮司「長く日本をお守りくださいと祈った」
山口 下関 人柄などしのぶ一方 実施に疑問の声も
東日本大震災で被災した人たち テレビで「国葬」を見守る
震災と原発事故からの復興を通し親交あった人 追悼の声
北方領土元島民「領土問題解決したい気持ち 力強かった」
G7伊勢志摩サミット 交流の男性「感謝の気持ち今も 安らかに」
奈良 銃撃事件現場に喪服を着た人や花を持った人など訪れる
安倍元総理大臣とゆかりのある人や場所の反応です。
横田めぐみさんの母 早紀江さん「一生懸命尽くしてくださった」